Top AI技術開発とかのブログ - Atelier モンゴルに会社を作ったお話 ~前編:こうして会社が出来たよ~
2021年11月30日

モンゴルに会社を作ったお話 ~前編:こうして会社が出来たよ~

データサイエンス

皆さんこんにちは、データアーティスト代表の山本です。
9月24日に一記事目を書いてから、現在11月30日。二記事目にして早くも寝かせてすみません。これからも継続的にブログを書くため、今後は文体を少しライトにしたいと思います。それでは本題に。

電通データアーティストモンゴルという開発拠点があるよ

データアーティストの特徴の一つにモンゴルの開発拠点が上げられると思います。当社のモンゴルのメンバーには世界数学オリンピックのメダリストも多く基礎学力の高さにいつも驚かされます。 また英語・日本語も堪能で、英語論文を読みながら最新技術をキャッチアップし、それを日本のビジネスで実装するスキルを持っているメンバーも多いです。そんなこんなで、モンゴルに会社を作ったことは 今となっては当社のコアコンピタンスの一つになっています。

DDAMメンバー

おかげさまで今は少しずつ軌道に乗り始めていますが、『先見性にあふれたバシッとした判断力で比較検討を重ねこれは間違いない!という気持ちで踏み切りました』みたいな格好良いことはほとんどなく、調査不足の中時間優先で踏み切ったり、想定外のことがいろいろあったりしながらもなんやかんやで進んできたという感じです。
リモート環境の普及も進み、今後さらにビジネスのグローバル化が進むと思います。今回のブログがこれから海外で仕事したい!と思っている方の少しでも参考になればうれしいです。

なんでモンゴル?きっかけは中華料理屋

そもそも、どのタイミングからモンゴルに会社を作ろうと考えたのか?これは海外進出について調査資料を見ていて閃いたという類ではありません。ちょうどデータ分析の仕事が増えて人手が足りなくなったころ、何とか優秀なメンバーを集められないかと大学の時の後輩に声かけたのがきっかけです。

その後輩はアマル君といい、今では当社のCTOとなっています。アマル君に熱烈なラブコールを送り何とか会社に入ってもらい、アマル君はその後も大活躍でした。そして二人で夜な夜な開発していたある日、小腹がすいたので近くの中華料理やでご飯を食べることにしました。

とっても優秀なアマル君と少しでも長く働きたかった当時の僕は、“アマル君は将来どんな風な仕事をしたい?”と割とシンプルな質問をしました。アマル君からも”モンゴルに戻って働きたいですねぇ”というシンプルな答えが返ってきました。
そこで、“そだよねぇ、そしたらモンゴルも会社作ったらモンゴルに戻っても一緒にはたらけるねぇ、、、、あれ?それ良くない?”と私、“おお、それいいですね!だって・・・”とアマルさん、のような感じで話が尽きず、モンゴル感のあまりない担々麺を食べながらモンゴル会社設立話が頭をよぎるようになりました。

モンゴル以外の国は検討していませんでした

元も子もない見出しですが、『さぁ、ここからいろいろ調べどこの国からグローバル化を進めるか?!』みたいな頭にはならず、モンゴルの会社設立がよぎったときには、既にモンゴル以外の国で仕事をすることは考えていませんでした。どちらかというと、どうしたらモンゴルで仕事が出来るか?それをみんなが素敵なことだと思ってくれるかの理由作りをしているという形に近かったです。

仕事をするうえでいつも思う事なのですが、ロジックが先に立つことは、最後の詰めをするような仕事には向いているのですが、新しい仕事をするうえではあまりうまくいったという実感がありません。新しい仕事をするときは、最初の一手からの可能性が多すぎるので、どちらかというとその一手の後に常に前を向き、次の手を打ち続けられるメンタルの方が重要だと感じることが多いです。そのメンタルを維持するうえで、一番大事だと感じることは、“自分がやっていることがかっこいいと本心で思えること”だと思っています。
そういう点で、モンゴルに会社を作るという事は僕にとってかっこよすぎることでした。

だってモンゴルはレジェンドだもの

色々な意見があるかと思いますが、私にとって歴史の勉強で一番面白いところは、モンゴル帝国が領土を拡大し、中世最大の帝国を作るところでした。

39歳の私は、生れたときには経済力ではアメリカに勝てません的な印象を無意識のうちに植え付けられて育ってきました。また埼玉生まれの僕としては、東京っ子のようにかっこよくなれませんというコンプレックスも常に抱えていました。さらに、大学受験の時も、本人としてはめちゃくちゃ勉強したつもりだったのに東大におちたこともあり、勝ちきれない自分という意識を強めていきました。

そんなチャンピオンになり切れないんじゃないかという呪いにかけられた自分にとって、よくわからないけれどテントライクな住居でガンガン移動しながら、アジアの国ながら世界を制覇したモンゴルはとてもヒロイックに映っていました。特に詳しくもなかったんですが、モンゴル超かっけー!という印象がとにかくありました。

“モンゴルに会社作ろうと思う”と人に言うたびに、ロジック抜きになんとなく湧き上がってくるニヤリとした感情、これがすごく大切だと思いました。そして今も思い続けています。

モンゴルに行ってきた。こりゃ勝てない。

モンゴルに会社を作ることが心に決まっているので、次にとる行動は実際に行くことにつきます。という事でアマル君にお願いし出張プランを立ててもらい、予備知識も乏しく地球の歩き方を片手にモンゴルに向かうことになりました。
朝の早い時間は、アマル君の先輩が経営している企業を回ったり、同期が校長先生をしている高専でAIの授業をさせてもらったりしました。

モンゴル授業風景

そして夕方前には、やはり醍醐味の草原を見に行こうという事になりました。目指す場所は亀岩という、名前通りの亀の形をした岩です。その道中、ゲル(テントライクな住居と思っていたもの)に住み、牛と共に暮らす多くの人々を見かけました。アマル君の話によると、冬の寒い時期は肉だけを食べ体を守り、夏になると乳だけを飲み胃を休めるという周期で暮らしている人もいるそうです。また、窓の外をさっと指さし『ここがモンゴル帝国が滅びた最後の戦いの場所だそうです。あの二つの山の間から敵が攻めてきて守り切れなかったそうです』と言いました。世界の歴史が変わる瞬間がこんなに身近にあるなんて。
そしてつきました。亀岩。未だになんだかわかっていないですが、亀の形をしたバカでかい岩です。ノリとしては岩でなく丘です。そしてそこにスーツと革靴で上るビジネスマン。ここで見たものに対して、普段考えていることはなんとちっぽけなことか。

モンゴル風景

夜はアマルさんの先輩・同期の友達とご飯を食べながら、モンゴルの目指す姿について話会いました。同期の校長先生は、若くしてモンゴルの教育制度を変えるほどに国に貢献しています。今更ですが、モンゴルの国土は日本の4倍でありながら、人口は300万人。そして当時はまさに経済の急成長期。国民の一人一人が、自分の活動が国の行く末に大きく影響を与えると実感できる環境です。

雄大な自然の中で、生きることに直面しながら、大志を抱くのが当然の環境、こりゃぁ今の日本人では個人の力では到底勝てない。いよいよ本当に可能性があるぞ!!!』私がモンゴルに行った際の一番の感想でした

モンゴルのみんなと働こう!!って集まるの速くない!?勉強すごくね!?

日本に帰ってやることは仲間探しだ!!ということで完全にアマル君頼みでメンバーを探すことにしました。プロジェクト名は『Mongol Team』、和訳して『蒙古班』。しょうもないダジャレに社運を賭ける。

まずは日本に住んでいるモンゴルの方に当社の日本オフィスで働いてもらおうと思いました。初めから正社員を探すことは予算的にも難しかったので、まずは日本の大学・院に通うモンゴルの学生さんに、アマル君の謎のネットワークでメールを送りました。決まりました。ムギ君。速攻。
ムギ君は東大で情報科学勉強中。ほんまもんがいきなり来ました。続いてまた連絡、決まりました。速攻。優秀。以下ループ。

気になる点が二つ、集まるの速すぎ。アマル君に事情を聞きました。どうやらモンゴルには国費留学の制度があるらしく、特に日本への留学生のSNSをはじめとしたネットワークがあるとのこと。それと高校の仕組みも独特らしく、小中高と一貫教育が多いとのこと。しかも小中高一貫で同じクラス。これはコミュニティが密になる。謎のネットワークの正体がわかる。ちなみにアマル君が行っていた高校はウランバートル第一高校。ウライチ。後輩は横綱白鵬。

二つ目、えらい優秀。プログラムもそうなんですがそもそもの学力が高い。実はアマル君は世界数学オリンピックメダリスト。これはアマル君の固有スキルかと思っていたんですが、その後も世界メダリストがゴロゴロ。日本では周りにこんなにいないです。これは青春のベクトルの違いに原因があるっぽい。

モンゴルは経済成長中途いえども、やはり就労条件によっては十分な経済的充足を得られないこともあるとのこと。そんな中、若者たちは勉学に励み、大学の入学では優待を受け、就職時には望ましい条件を獲得することが重要だとのこと。そしてその競争のメインイベントに数学等の基礎学問のオリンピックがあり、それに部活のようなスタイルで取り組み切磋琢磨することに青春を感じるとのこと。国が隣接することもありロシア語の数学の本を翻訳する部活があったとか(ポヤンカレ予想を証明したグリゴリー・ペレルマンを輩出したロシア式数学の影響もあるのか?)。なんにしても私たちが部活に向けた青春がフルに数学に向いている。それならばこの学力はうなずける。

※ここまでは良いお話なんですが、小さなコンテスト等で入賞しお小遣いを稼ぐという目下のモチベーションもあったとのこと(笑)

真面目、すぐに手が動かせるモンゴルメン、AI界隈を席巻

一緒に働いてみて、履歴書ではわからない特徴があと二つ。

一つ目。とにかく真面目。切ったタスクに対してのコミットメントがやばい。これについての理由は自分の中でかなり怪しい。アマル君いわく『チベット仏教がベースにあるからです』だそうです。すみません、仏教系の国がすべて真面目なのかピンときません。ただなんにしてもすごくまじめです。

二つ目。これは意外。すごくプログラムの手が動くのです。理屈でごにょごにょいう前にあり物のパッケージを組み合わせて、とりあえずとにかく挙動だけは想定通りなプロトタイプを作るまでがやたら速い。どうやらこれは高校のカリキュラムの作り方にあるらしいです。ある時期のモンゴルの文部大臣の出身校は、なんと日本の高専!高専の実学に重きを置いた教育が逆輸入されていたというのが感慨深い。

という事で、そもそも基礎学力が高く、まじめで、すぐに手が動くモンゴルメンに、目の前の分析・開発案件をちぎっては投げの躍進。大きな苦戦もなく利益が出る体制に。

強いアジア、みんなはやれると思うかい?

はい、これで案件は回ります。が、モンゴルに新たに会社を作るのにそれだけでは不十分。
会社に必要なのは目指す姿、そしてやり抜く自信。

モンゴルメンと仕事以外の話も増え、気づいたすごく大切なことがありました。
『尊敬する人は?』という質問に対して『チンギスハーン』という答えが100%。
自分の中にこれに相当するものはあるだろうか。織田信長や坂本龍馬と答えない気がする。世界中に認知される日本人という自負がないからだろうか?いや、フランスの人も全員ナポレオンと答えるイメージはない。ジャンレノと答える人も一定数いそう。

チンギスハーンという答えは圧倒的なオンリーワンであり、そこに込められた想いとして、過去に自分たちのご先祖様が世界を席巻したという事実から来る、自分たちは世界最高になりうるという自負がある。
舞台は整った、目の前のビジネスは回る、そして頼まなくともそこに想いがある。
あ、整っていない、頭金がいる。増資だ!!
という事でモンゴルに会社を設立すること前提に、株式売却のタイミングで増資も受け無事登記&オフィスを開設することが出来ました!!

ここまでご説明差し上げたように、会社が出来るまでの道のり、膨大なファクトに基づくというよりも、最初の直感、そして一手一手打つたびの納得感、それを信じ切ったことが大きかったと思います。このブログを読んでくださった皆様に、見るからに類似のエピソードは起きないかもしれませんが、その根っこの部分が何か参考になれば幸いです。

そして、ここではおわらない!!後編は設立後の拡大編、どちらかというとこっちは苦労話が多い!文章が書きあがるのはいつになるのか!?多分3時間くらいで書ける!そのまとまった時間が取れるのか、そのタイミングでやる気があるのか!?乞うご期待。

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